平間社長インタビュー
- マネジメント
左:IR広報統括部長 岩田俊幸 右:代表取締役社長 平間英之
2026年6月26日付で社長に就任した平間英之社長に、IR広報統括部長の岩田がインタビューをしました。
※こちらのインタビューは2026年7月1日発行の株主通信にも掲載しております。
Q. どのような学生時代を送っていましたか
A.東京大学はいわゆる体育会を運動会と言うのですが、部活動として運動会レスリング部に所属していました。体重別の格闘技は体格や身長の差など自分自身に言い訳できない環境で、逃げ場がありません。折角何かスポーツをやるならそういう環境に身を投じたいと思いました。打撃系や柔道は過去にやったことがありましたので、レスリングに興味を持ち、練習見学しに行くことにしました。最初のスパーリングで、当時60歳くらいであった向井監督にコテンパンにされて強くなろうと思い入部を決めました。上級生が引退し、私は入部から約1年後の2年生の6月から4年生まで2年間主将となりました。部員の少なさに苦しみましたが、OBの方々のサポートも得て乗り切りました。レスリングというハードなスポーツそのもの、そうした部員不足の中でのマネジメント、部員が少ないからこその上下のつながりなど、苦しみながらも得たものは大きかったと思います。

東京大学レスリング部主将の頃の練習風景
Q. 2004年2月に日本興業銀行から当社に入社された理由を教えてください

A. 学生時代に社会にどういう形で貢献するのかを考えたとき、企業経営を通じて、広く社会全体へ貢献したいと思いました。最初はお金の流れや数字が読めないといけないと思い、コーポレートファイナンス・インベストメントバンクに特化していた日本興業銀行を選択いたしました。一方、なるべく若いうちに経営に触れておくことも重要だと思い、自分自身がハンズオンで色々な経営課題に触れられるような環境を志向するようになりました。この時考えた企業選考クライテリアは、①企業理念がしっかりしていること、②業界としては人間にとって究極の課題対象である生命を扱うライフサイエンス業界、③経営課題に対してハンズオンで経験を積めるサイズの会社、④とはいってもグローバル志向がありグローバルにビジネスができる会社という4点でした。この4点を満たしたのが当時まだ非上場だった当社でした。ポジションなどは全く考えず平社員での入社でした。
Q. 17年間の在職中に様々な部門を経験された中で、印象的な出来事とその理由を教えてください
A. 本当にいろいろな経験をさせていただきましたが、2つ述べたいと思います。1つはアメリカ非臨床事業のSNBL USAがFDAから警告書を受領し、リストラクチャリングを余儀なくされた時のことです。このとき現地のCFOとして出向し、マネジメントの総入れ替えやダウンサイズなどを行いました。かなり孤独で精神的にもタフな仕事でしたが、30代前半にこのような難局と向き合い、乗り越えたことで個人としての胆力も鍛えられたと思っています。もう1つは現在大きな発展を遂げている新日本科学PPDというPPDとのジョイントベンチャー(JV)を立ち上げたことです。このJV設立交渉の責任者として、成長を遂げられるであろうスキームを考え、多くのステークホルダーの皆様と協働し、JV設立をクロージングできました。海外企業との交渉でしたので、時差もありましたし、交渉が佳境な時はかなり濃密な時間を過ごしましたが、何よりも現在同社が大きく事業規模を飛躍させ、成功しているのを見るのは大変喜ばしいことです。

2015年 新日本科学PPD設立記念パーティーにて
Q. 2021年2月に当社を退職されましたが、どのような考えがあったのでしょうか

A.当社がアメリカ事業の整理もひと段落つき、成長軌道に乗り始める時期になったタイミングでした。自分の役割は一定程度果たし終えた面があると思い、新しい挑戦をしようと思いました。当時新型コロナウイルス感染症(COVID)の最中で、どんな領域でビジネスを展開するにもITやAIなどテクノロジーについて深い洞察が必要と感じていました。例えば、メディカルの領域ではオンライン診療が出てきていました。また、勤務形態もリモートになり、色々なものがITとより密接に結びついていました。今後のイノベーションはITと既存事業の組み合わせになると感じましたので、学生時代に誓った企業経営を通じて広く社会に貢献する経営者へのステップとしてIT領域で新たなチャレンジをすることにしました。
2012年 SNBL USA Holiday Partyにて
Q. 永田会長から「帰ってこないか」と声をかけられたときはどう思いましたか
A. 大変光栄なお話でした。考えたことは 2点です。1点目は自分自身社長として新日本科学をどう率いてどう貢献できるのかという点。そういうビジョンがなければお引き受けできないなと。2点目は、当時私は通信ソフトウェア会社のグローバル事業の副社長でしたので、これもきっちり形にしてからの決断にしたいということでした。そのため、すぐに復帰する形ではなく、数年ほどかけて方向性などについて永田良一会長、永田一郎副社長と話し合いを続けました。この期間は会社の将来の方向性について時間をかけて永田良一会長、一郎副社長と目線を合わせる時間を十分に取れましたので、大変良かったと思っています。楽天シンフォニーが2025年度にNon GAAP 営業利益の黒字化を達成し、一定の道筋をつけたタイミングで復帰させていただくことにしました。

Q. 5月半ばから新日本科学に再入社してどう感じていますか

A.まずやはり会社理念がしっかりしていて、素晴らしい社員の方が多いと感じます。そうした土台がある中でCRO事業がグローバルに伸長しており、TR事業という創薬事業も挑戦を続けています。また、新規事業としてインキュベーション事業(SGG)、鹿児島ではホスピタリティや発電事業に加えてシラスウナギの人工生産なども手掛けています。日本では地方創生ということがよく言われますが、地方を活性化するにはもはや東京を見ているだけではだめで、海外への飛躍が求められます。その一つのロールモデルとなりうる会社だと考えています。AIをはじめ世界が大きく変わる中で、当社もCRO事業の更なるグローバル化、TR事業と新規事業の収益化実現を目指す節目の時期に来ております。引き続き変わらない当社理念の土台の上に、より機動的に戦略的な対応をしていく時と思っています。
2026年 永田塾高野山合宿にて
Q.今後の新日本科学をどうしていきたいかお考えを教えてください
A.端的に言えば世界的な企業にしたいです。当社は鹿児島発祥の企業ですが、米国をはじめグローバルでもビジネス展開をし、CRO事業以外の新規事業にも挑戦を続けている革新的な企業です。保守的な経営が多い日本企業にはないスピリットとだと思っています。私は前職も含めグローバルビジネスに多く触れてきました。当社の企業理念とスピリットを最大限生かす形で、地方発グローバルの経営をさらに進めていきたいと思います。会社・従業員・ステークホルダーの皆様への貢献はもちろんのこと、そのような経営を通じて日本全体や地方にも刺激を与えられると思っています。
