感染を起こさせない – 経鼻粘膜ワクチンの研究開発と実現への想い
- サイエンス
新日本科学は、2023年春に経鼻粘膜ワクチン研究開発センターを立ち上げました。同センターでは、ウイルス感染免疫学の権威である近畿大学名誉教授・医学部客員教授の宮澤正顯(まさあき)先生をトップに擁し、免疫学者、組織構造学者、製剤技術者、動物実験の専門家などを網羅した総合的な研究体制のもと、「そもそも、感染をおこさせない」ことを狙った経鼻粘膜ワクチンの研究開発が鋭意進められています。
宮澤先生と当社 永田社長との対談をぜひご一読ください。
司会:新日本科学は、4月に経鼻粘膜ワクチン研究開発センターを立ち上げました。そのトップにウイルス感染免疫学の権威で、新型コロナウイルスについてNHKをはじめ様々なマスコミでわかりやすく解説をされてきた近畿大学医学部前主任教授・大学院医学研究科長で、現在は近畿大学名誉教授・医学部客員教授の宮澤正顯先生が就任されました。
本日は、永田社長に新日本科学が経鼻粘膜ワクチン研究開発センターを立ちあげようと考えた経緯・きっかけを説明いただき、その後は永田社長と宮澤先生の対談の中で経鼻粘膜ワクチンの有用性や将来性について明らかにしていきたいと考えています。ではよろしくお願いします。
永田社長:まず、新日本科学がこの経鼻粘膜ワクチン研究開発センターを立ち上げた、そしてワクチンを開発しようと考えた経緯、きっかけをお話します。当社は1997年から粉体の経鼻製剤の研究開発を行っております。これまでの経鼻製剤は液体で鼻粘膜に噴霧するというものでしたけれども、当社は、効果的で効率的に薬剤が鼻粘膜から吸収できるように粉体として投与する技術開発を続けてきました。その中で、いくつかの製剤はすでに臨床試験に入っております。
経鼻ワクチンは、以前、鳥インフルエンザの日本への侵入が懸念された頃に研究したことがあったのですが、インフルエンザの抗原を手に入れるということが難しかったり、アジュバントの研究も同時に行わなければいけなかったりと、複数のハードルがあってペンディングにしておりました。しかし今回、新型コロナ感染症が大流行したということで、再度この経鼻ワクチンを研究したいと考え、この経鼻ワクチンセンターを立ち上げたのが経緯です。
私の方から宮澤先生にいくつか質問させていただき、進めたいと思います。まず経鼻粘膜ワクチンというのは、どういうワクチンで、通常我々が注射で使っているワクチンと比べて、どういう違い、あるいは特徴があるのかをご説明いただければと思います。
宮澤センター長:ワクチンの話をする時は、まずワクチンというものがどのように効くのかということから考えていかなければいけないと思います。ワクチンの原理は、俗に「二度罹(かか)り無し」と言われる獲得免疫反応の特徴を利用したものです。ある病原体に初めて感染したときは免疫反応がゆっくりとしか起こりませんが、同じ病原体の二度目の侵入時には、一回目よりも「より速く、より強い」免疫反応が起こり、症状が出る前に病原体を排除してしまいます。
これは、最初の感染で出来た「記憶細胞」が体内に長く残っており、二度目の病原体侵入に対し急速に反応するためです。
ワクチンを打つことで、同じように病原体に対する記憶が出来るのですが、記憶細胞が活性化するためには病原体が侵入して、免疫応答を刺激しなければいけません。つまり、「二度罹り」が起こるから「より素早い免疫反応」が引き起こされる訳で、二度目は症状が出ない、または症状に気が付いていないだけと言えます。多くのワクチンの目的が、発症阻止または重症化予防と言われるのはこういうことです。新型コロナワクチンについて説明した際に、「このワクチンは発症を抑えたり、重症化を防ぐ効果が認められている」と言うと、重症化しないだけで罹っちゃうんだったら、ワクチンの意味ないじゃないかというような反応をされる方がいましたが、そもそもワクチンというのはそういうものです。
但し、あとでお話ししますが、感染してしまったら病原体が一生体内に残って長い年月のうちに重篤な病気を起こすとか、最初に侵入してきただけで致死的になり得ると言う感染症はある訳で、それらに対しては「そもそも感染しないようにする」と言うワクチンが理想です。多くの病原体は呼吸器や消化器、或いは生殖器の粘膜から侵入してきますから、そのためには粘膜の水際で侵入を防ぐことが必要になります。我々の目指す経鼻粘膜ワクチンは、そもそも感染を起こさせないこと(これを「遮断免疫」と言います)を狙っています。
永田社長:ありがとうございます。今のお話で、通常の注射ワクチンと経鼻ワクチンの違いがよくわかりました。
そうしますと、その経鼻ワクチンを接種することによって、どのようなメリットがあるのか、どういう疾患領域で経鼻ワクチンが使えるのか、教えてください。
宮澤センター長:そうですね。たとえばウイルス感染症の場合、病原体であるウイルスは「彷徨(さまよ)う遺伝子」として私たちの体内の生きた細胞に侵入し、細胞の持つ核酸合成やタンパク質合成の機能をハイジャックして、ウイルスのコピーをたくさん作らせます。従って、ウイルス感染に打ち勝つためには、ウイルスコピー工場となってしまった感染細胞を体内から排除しないといけません。これが免疫細胞の機能ですが、感染細胞はウイルスコピー工場になってしまっているとはいえ、元々私たちの身体を構成していた細胞です。これを排除することは、自分自身の身体の一部を壊すことにほかなりません。
実は、ウイルス感染症の症状は、ウイルスが増えることで起こっているのではなく、ウイルスに感染した自分の細胞を、免疫細胞が攻撃して壊すことで起こっているのです。
ポリオという病気があります。ポリオウイルスは消化管の粘膜に感染して下痢症状を引き起こすのですが、消化管の粘膜は元々数日ですべての細胞が置き換わるくらい速く増殖しているので、感染細胞が破壊されても粘膜が再生して元に戻ります。しかし、まれにこのウイルスの感染が神経系にまで拡がってしまうことがあります。そうすると、ウイルスに感染した神経細胞を免疫系が攻撃します。神経細胞は再生しないので、後に麻痺が残ります。
呼吸器感染の場合も同じです。ウイルスに感染した鼻や喉の細胞に対して免疫反応が起こることで粘膜の傷害が生じますが、鼻や喉の細胞は再生能力が高いので、数日で元に戻ります。しかし、感染が肺まで拡がってしまった場合は、肺の細胞が免疫反応で壊されてしまいます。肺の壁の細胞が壊れると、血管から出た水分が肺の中を満たします。このような病変が肺の一部に生じても、肺は予備力が大きいので命には関わりませんが、ある限界を超えて肺の壁が壊れてしまえば、「地上で溺(おぼ)れる」状態となって亡くなります。
このような疾患では、これまでのような「発症抑制」や「重症化阻止」ではなく、そもそも感染を起こさせないという、「遮断免疫」の誘導が必要です。
同様に、一度感染が成立してしまうと持続感染状態となり、長い間にがんや免疫不全症を引き起こすヘルペスウイルスの仲間やエイズウイルスなども、とにかく感染しないようにする遮断免疫でしか防げない病原体です。これらの感染症に対して、経鼻粘膜ワクチンは有効性を発揮すると期待されます。
永田社長:よくわかりました。そういう素晴らしいメリットを持っている経鼻粘膜ワクチンが、どうしてこれまで開発、あるいは実用化できなかったのでしょうか?
宮澤センター長:私たちの身体を構成する細胞は、全て体液という水の中でしか生きられません。ウイルスも、細胞からその周囲の体液の中に放出され、体液をまとって出てきます。
水をまとわなければウイルス粒子の構造は保たれず、細胞にとりつく働きをするタンパク質の立体構造も保てません。
よく、感染者から裸のウイルス粒子が飛んで来る(だからマスクでは防げない)というようなことを言う人たちがありますが。これは大間違いで、ウイルスは必ず水をまとった飛沫(ひまつ)として体内に侵入します。
飛沫が体液に取り込まれると、ウイルスが細胞の表面にくっつきます。ここを抗体で邪魔するのが「遮断免疫」の考え方です。そのためには、侵入門戸となる鼻や喉の粘膜で、体液=粘液中に抗体が存在する必要があります。
ところが、通常の皮内や皮下、或いは筋肉内へのワクチン接種で出来る血液中の抗体(IgG)は、そのままでは粘液中には出て来ません。
粘膜に傷が出来たり、感染してしまって炎症が起こった状態なら血液中の抗体が粘液中に「滲(し)み出て」来ることがありますが、勿論それでは手遅れです。予め粘膜で抗体(IgA)が作られ、それが粘液中に出続けるような条件を作らなければいけません。これが経鼻粘膜ワクチンの目的です。
当然、粘液中に抗体を分泌させるようなワクチンの研究は以前から行われて来ましたが、いまだにヒトで実用化出来ているものはごく少数しかありません。これにはいくつか理由がありますが、一つは粘膜免疫を含む免疫学の研究が主にマウスを用いて行われて来たということがあります。
ヒトとマウスの免疫系は基本的にはよく似ていますが、粘膜に限ってはその構造が大きく異なります。マウスでうまく行ったやり方が、そのままヒトで通用するとは限らないのです。また、マウスは小さいので、鼻に入れたつもりが実は肺まで流れていて、だから効果があるように思われていたという場合もあります。今まで、「粘膜で抗体を作らせるような免疫反応」の誘導のしかたをしっかり研究する手段がなかった点が、原因の1つと考えられます。
それと、元々鼻には多様な異物が吸い込まれて来ますが、それらに対して基本的に免疫反応は起こりません。花粉症や鼻アレルギーも、何度も繰り返して原因物質に曝されていないと起こらないものです。すなわち、鼻粘膜というのは元々免疫反応を起こしにくい場所で、これを乗り越えないといけないという課題があります。
永田社長:なるほど。生体の免疫反応をよく理解できました。それでは、これから経鼻ワクチンセンターが目指していく目標、あるいは実用化するまでには、どのくらいの時間がかかりますか?
宮澤センター長:最初に永田社長からお話がありましたように、当社TRカンパニーでは以前から独自の粉体技術を用いて鼻腔に薬剤をデリバリーする研究を行って来ました。この技術を応用して、ヒトの鼻腔内の「免疫応答誘導に適した部位」に集中的にワクチンを到達させ、しかもある程度の時間しっかりと粘膜にくっつかせるということが可能です。これにより、液体噴霧などに比べより効率的に、粘膜での免疫反応を誘導出来ると考えています。
また、粘膜から分泌される抗体を作らせるには、粘膜の細胞にそれに相応しい環境を与えることが必要です。具体的には、独自構造のものを含めてアジュバントと呼ばれる免疫応答増強物質を用い、粘膜を構成する細胞から特定のサイトカイン(免疫細胞間の情報伝達分子)を作らせて、抗体産生を促進させます。
これらに関する基礎技術は既に持っていますので、2~3年のうちには粘膜で強い抗体産生を誘導する基礎研究の目途がつけられると考えます。その安全性確認は、勿論当社の得意とするところです。
当然、我々自身がワクチンそのものの開発を行える訳ではありませんので、経鼻ワクチンセンターで開発した経鼻デリバリーによる粘膜抗体誘導技術をワクチンメーカーに提供し、将来的に複数の粘膜免疫ワクチンにプラットフォームとして採用して頂くというのが最終目標になります。
永田社長:今後の展開が楽しみですね。それでは、この経鼻ワクチンセンターにおける研究開発体制についてはいかがでしょうか?
宮澤センター長:私がこの経鼻ワクチンセンターに着任したのは、この4月ですが、当社TRカンパニーでは以前から独自技術の粉体デリバリーシステムにより、薬物を鼻腔から吸収させる研究開発を進めて来ました。その過程で、当然ながらこれを経鼻ワクチンに応用する研究も続けており、ワクチン抗原をナノ粒子に封入する研究なども行って来ました。また、前述の免疫応答増強物質についても、独自の成果を持っています。
今回経鼻粘膜ワクチン研究開発センター設置にあたり、これら研究グループを再編し、同時に近畿大学医学部における私の研究グループの出身者もコアメンバーに迎えて、免疫学者、組織構造学者、製剤技術者、動物実験の専門家などを網羅した総合的な研究体制を作って頂きました。それぞれのグループに室長クラスの優秀な研究者を置き、その下に修士クラスの新人を2名程度ずつ置いて頂いています。
粘膜ワクチン開発には試験管内の細胞免疫学の知識だけではなく、ヒトと実験動物の違いを含めた病理組織学的知識も必須ですが、私自身が元病理医として人体病理学に精通しており、共同研究者にも呼吸器病や人体病理の専門家が多いという利点があります。
また、私は2005年から当社のサイエンスアドバイザーとして、遺伝子組換え実験安全員会の社外委員などを務めさせて頂いて来ましたが、その間に本店安全性研究所などに多くの人脈を作ることが出来ました。
今回の経鼻ワクチンセンター設置にあたっては、安全性研究所からも兼務メンバーに加わって頂いており、全社の資源を有効に活用できるよう配慮を頂いています。
永田社長:宮澤先生のご感想をお聞きしてとても安心しました。
最後になりますけど、宮澤先生は、長野でお生まれになって、それから東北大学に行かれて、その後に近畿大学医学部で長らく教授をされておられました。今度は、南国の鹿児島に来られたわけですが、鹿児島での生活はいかがでしょうか?
宮澤センター長:実は私は、今回経鼻ワクチンセンターに呼んでいただく以前から、2005年からになりますが当社とはアドバイザー契約を結んで頂き、遺伝子組換え実験安全委員会の社外委員なども務めさせて頂くなど、継続的なつながりがありました。本店各部門のメンバーの方々とは科学的議論を重ねる機会があっただけでなく、ほぼ毎年鹿児島を訪れて、複数の方々と一緒に開聞岳に登ったり、屋久島、甑島、奄美大島迄旅行に行ったりもしていました。そのため、元々鹿児島の豊かな自然と美味しい食べ物には魅せられていました。
今回は家内を連れて鹿児島に移り住みましたが、二人とも既に鹿児島生活の楽しさに嵌っています。阪神圏ですと、どこかに出掛けようとすると市街地を抜けるのに2時間くらいかかってしまうのですが、鹿児島なら吉野の自宅から自動車で20~30分も走れば、既にちょっとした観光地です。桜島の雄姿も良いですね。
元々信州の自然の中で育ちましたので、鹿児島生活はむしろ大阪よりしっくり来ます。実は私たちは、アメリカのモンタナ州という、ほとんど日本人が行ったこともないようなところに3年半家族で生活しておりました。新しいところに慣れると言うのは得意だと思っております。鹿児島でも大変楽しくやらせていただけると思っています。
永田社長:それはよかったです。本日はどうもありがとうございました。